六命雑感、あと日記の保管庫もかねています。
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オトナの対応
【1】
「……良いご身分ね、クロ」
「……? ふぃ?」
「……主が目の前にいるというのに、何、そのだらしない、はしたない返事は。本当に良いご身分よね、クロ」
「ふぁ……あ……はい、ごめんなさい!」
正午の日差しは暖かく、ウッドデッキの淵に腰掛てついうとうとと眠っていた片耳の猫人の少年が、少女の声に指摘されて慌てて立ち上がり、涎を袖でふき取った。
彼の視線は真正面ではなく、かなり下のほうに向けられていた。
果たしてそこには、両の手を腰に当てて彼を睨みつける、小さな小さな少女が居たのだった。
「ああ、もう汚い! そんな所で拭いたら、不衛生なのよ、クロ!」
「ふえ……ご、ごめんなさい」
「洗面所だったら入ってすぐですよ、クロさん。……ラズレッタちゃん、こんにちは」
そんな二人の様子を見ながら、ルクラは彼らのために用意したお茶のセットを、手際よくテーブルに設置していく。
ルクラがリズレッタと共に居るように、彼らもまた、同じような境遇で共に居る。
「……なんだ。ドラ子。いたの。お姉様はどこかしら」
ラズレッタと呼ばれた少女は、顔を洗いに行くクロの後姿を見送った後、ルクラに一瞬視線を向けるとぷい、と逸らして、周りを見渡している。
そこまで広くは無い庭だが、少し大きな人形といった程度の彼女には広大に見えているに違いない。
彼女があちらこちらを向くたびに、陶器と木材でできた造り物の左腕が遊びまわっていた。
【2】
彼女、ラズレッタはリズレッタの双子の妹だ。
それ以上のことは、ルクラも知らなかった。
なんだか複雑な事情がある、それぐらいの認識でルクラも深く知ろうとはしなかった。
それなりに長い付き合いになるリズレッタのことも殆ど知らないし、リズレッタ自身自分のことを話すのを避けているような感じがある。
多分この妹も事情に深入りすれば気を悪くするに違いない、と思っているからだ。
事実彼女は姉以上に気難しい性格をしているらしく、何かにつけて自分に突っかかってくるのである。
「リズレッタですか? うーん、多分どこかに出かけてるんじゃないかな……。ここには居ませんよ」
「……なんだ。お姉様はいないの。それじゃあ来た意味がなくなってしまったわ」
あからさまに“お前に用は無い”といった佇まいで、至極残念そうに肩を落とせば先ほどまでクロが座っていた所に腰を下ろすと、懐から何かを取り出した。
「そんなに遅い時間にはならないでしょうから……」
それが何か、ルクラは知っている。
数少ない、ラズレッタについての情報。
彼女はボトルシップ作成が得意で、そしてそれが趣味なのだ。
「少しお庭で暇をつぶしてたら、きっと会えますよ。……今度はどんな船を作るのか、実は結構楽しみにしてるんです」
「……む。何を笑っているのよ、ドラ子の癖に生意気よ。お前に期待されなくても、お姉様の心をわしづかみにするような、素晴らしい船を作るんだから。イーだ!」
憎まれ口を叩かれつつも、ルクラはちょっと苦笑するぐらいで涼しい顔だった。
何かと自分に突っかかってくる理由は、なんとなくルクラもわかっていたからである。
ふらりと庭に立ち寄っては、“お姉様”であるリズレッタと談笑を交わし時間を過ごすラズレッタだが、いざ帰る時間が迫ると途端に口数が減り、あからさまに寂しそうな様子を見せる。
それはリズレッタも同様で、姉妹二人とも、少しでも離れ離れになるのを嫌っているようだった。
妹が帰った後しばらくの間はリズレッタも扱いが難しくなる。
気をつけないと小言が連続して飛んでくるから、ルクラとしてもあまり心の落ち着く物ではなかった。
「二人とも、ちょっといいですか?」
「は、はい……なんでしょう?」
「……何よ、ドラ子」
しばらく話を暖めて、話題が途切れたときに、ルクラは至極真面目な顔つきで話し始めた。
こっそりと、リズレッタにも秘密で進めていたある計画を。
【3】
「新しく、お客様が増えたの。紹介しますね……。ラズレッタさんに、クロさんです」
「………………」
それを知ったときのリズレッタの驚きの表情や、そして喜びの表情は、ルクラにとっては忘れられない宝物になった。
とんとん拍子で話が進み、ラズレッタはリズレッタの部屋へ、そしてクロは最後の一部屋を使うこととなり、宿『流れ星』もついに満室となった。
この寒い季節暖かな寝床で眠られるとクロは大喜びしているし、ラズレッタも大好きな姉とずっと一緒で居られることを心の底から喜んでいる。
「お姉さまの分もお前に構ってやる!」
などと、彼女なりに気を使った言葉がルクラにとっても意外で、そして嬉しかった。
「皆さん仲良く……いえ、大丈夫ですね。これからよろしくお願いしますね、お二人とも……」
その日の夕食は、歓迎会という名目でいつもより豪華だった。
【4】
こん、こん、と控えめなノックの音が響く。
「……? 誰ですか?」
「わたくしですわ」
「リズレッタ? 空いてますよ、入って」
そろそろ寝ようかと言う時間、珍しい来客にルクラは目をまん丸に見開いて、リズレッタの言葉を待つ。
ドアを後ろ手に閉めながらリズレッタは言った。
「貴女にお礼を、と」
「お礼?」
「……妹とその従者のこと、貴女が何かしら手を打ったのでしょう?」
「えっ。ち、ちがう、よー?」
「別に怒ってませんわ。お礼、と言ったでしょう?」
「……う、うん」
リズレッタは静かにルクラに近づいて、微笑んだ。
「ありがとう」
「………………」
「………………」
きょとん、とした顔のルクラを見て、迷うことなくリズレッタは頬を抓る。
「いひゃい」
「何もそんな変な顔をしなくてもいいじゃありませんの。そんなに可笑しい? わたくしが貴女に礼を言うことが」
「い、いえ……その……。……うん」
「まぁ、いいですけれど。……わたくしは貴女に本当に恩を感じていますの。だから、こうしてお礼を言いに尋ねたのですわ。……おわかり?」
「うん。……どういたしまして」
「勿論言葉だけではないけれど。……何かわたくしにできることがあれば言いなさい。できる限りは報いますわ」
前もこんなことがあった、とルクラはぼんやりを思う。
あれは何をしたためだったか、そこまでは思い出すことはできなかった。
「……じゃあ」
だがそんなことは今は思い出さなくて良かった。
チャンスだったから。
「質問していい?」
「どうぞ? 答えられるものなら」
「この島の冒険が終わって、この島からわたしが帰っていなくなっちゃうとしたら、リズレッタ、どうする?」
ティアにあの時質問され、必死に一人で考えた。
答えらしい答えも一応出した。
それでも不安で仕方なかった。
だからいま、こうして一番身近に居てくれる彼女に質問を投げかけたのだ。
リズレッタの不思議そうな表情が目に写る。きっと彼女も悩んでいるのだ。
「見送るぐらいはしてあげますわよ?」
「え」
そんな予想は外れ、僅か数秒で彼女は答えを出した。
「そ、そうじゃなくて!」
「……他に何か?」
「んっと……さ、寂しいとか、名残惜しいとかそういうのは無いの!?」
「さぁ、それはどうかしら」
リズレッタは意地悪な笑みを浮かべる。
「……ふぅん、質問の意図が読めましたわ。貴女、悩んでいるのでしょう。今わたくしに問うた事で」
「え、いや、そんなことは」
「顔がはっきりイエスだと答えてますわよ」
慌てて顔を隠すルクラだが、もう遅かった。
「貴女は何かこの島を勘違いしているようだけれど」
「勘違い……?」
「普通なら『在り得ない』のですわ、この島は。在り得ませんの」
“よく考えて御覧なさい”と続け、リズレッタはベッドに腰掛けて足を組む。
「この島で出会う連中は、貴女の世界には似つかわしくない連中が殆どだったでしょう。このわたくしも含めて。容姿は勿論、その文化だって、まるで統一性の無い滅茶苦茶な集まり方をしている。……それぐらい貴女だって気づいているのではなくて?」
「………………」
「良いこと? もう一度言うけれどこの島は『在り得ない』のですわ。本来なら交わることの無い場所、それらが不自然に捻じ曲げられて混じっている。貴女もたまたまそれに巻き込まれただけですわ。……招待状を開いて御覧なさい」
言われたとおり、ルクラは招待状を取り出し、開いた。
変わらぬ文面がそこには記されている。
「物事には常に始まりと終わりが纏わりつく」
目を閉じ、人差し指を立ててリズレッタは言葉を続ける。
「パーティなのですわ、これは。あたりまえがあたりまえでなくなり、常識など彼方へ捨て去ったパーティ。まだ終わりは見えないけれど……確実に終わるときは来る。その終わりを惜しんで引き伸ばそうとしても、無駄。……貴女だって一度や二度じゃないぐらい、数え切れないぐらいその終わりの名残惜しさは味わっているでしょう? 今回もそんな、星の数ほど味わったものの一つに数えられるだけですわ」
「でもっ……同じなんて思えないよ! そんな……こんなに大きな『終わり』なんて、見たことないもん!」
「そうですわね。幼い貴女にはまだ初めてになることかもしれないけれど。丁度いいから受け入れておきなさい? この先、島を出た後も似たような『終わり』が起こるでしょうから」
「っ……」
目を開き、悔しそうな顔をしているルクラを見て、リズレッタはため息をついた。
「やれやれ。こういうところはまだ子供ですわね。こういう時でも涼しい顔をして受け入れるのが淑女と言うものですわ」
そのまま組んだ足の上に肘をつき、頬杖をついたリズレッタは薄く笑みを浮かべて続ける。
「『終わり』までを楽しみ『終わり』を忌み嫌うのが子供。『終わり』を受け入れ昇華するのが大人ですわよ、ルクラ? 貴女の考え方一つで、今貴女が忌み嫌うそれも輝かんばかりの過去となるのに」
「考え方……」
「……わたくしはもう戻りますわ。あまり外しているとラズレッタが拗ねてしまいますから」
すっと立ち上がり、リズレッタはドアに近寄って手をかける。
「答えが出たら聞きましょう。おやすみなさい、ごきげんよう?」
そんな挨拶と共に、彼女は部屋を後にした。
「わたしの……考え方一つで……」
一人立ち尽くすルクラは、新しい難問に再び頭を悩ませることになるのだった。
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