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六命雑感、あと日記の保管庫もかねています。
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 ノスタルジーは振り切って
 
 
【1】
ふ、と静かに目を開けて飛び込んでくるのは、薄暗い室内。
ゆっくりと起き上がり、カーテンを開ける。
窓を開ければ、肌寒い風が静かに部屋の暖気を攫いに入ってきた。
日はまだ顔を出していない。すっかり太陽が昇るのが遅くなってきた。季節は冬。
何と言うことは無い、いつもの朝。
眼下に広がる美しい庭も何羽かの小鳥が囀っているだけだった。
まるでパーティなどなかったかのように、庭は静まり返り、いつものような理路整然とした面持ちを保っている。
少し寂しいような、不思議な気持ちを感じて、それから笑った。
“らしくない”と。
寝巻きを模った服が溶け、宙で真っ白な霧になって漂う。
それをまた身に纏い、数秒もすればいつものあの真っ白なフリルドレスに変わっていた。
 
【2】
部屋の扉を開け廊下に出る。
自分以外の音は何も聞こえず、古びた木の匂いだけが漂っていることに少しだけ違和感を感じた。
いつもなら階下から食器の触れ合う音が響き、香ばしいバターの香りが漂っているのだが、今日はまだ老婆も起きていないらしい。
リビングは予想通りの無人で、テーブルの上にはまだ何もない。
周りを見渡せば、まだ完全に掃除し切れていないのか、乾いたカボチャの欠片が少しだけキッチンの回りに落ちている。
あれだけ盛大にパーティを開いたのだから、その片付けに使う労力も相当なものであることは想像に難くない。
リズレッタは疲労など物ともしない存在だが、あの年老いた老婆は違う。疲れ果てていつもの時間に起きることすらできなかったのだろう。それを責める気は毛頭ない。
美味な食事の時間が少し遅れるだけだと思い、足は洗面所へと向かう。
蛇口を捻れば冷たい水が出てくる。
この時期これで顔を洗うのは躊躇するほどのそれを、リズレッタは涼しい顔でくぼませた両の掌に溜めて顔を濡らした。
水や氷を自在に操る存在が、水を恐れるなど笑い話にしかならない。
タオルで水を拭きとって、鏡を見ながら少し乱れた髪を直していると、後ろに見慣れた姿の少女が現れた。
 
「あ。リズレッタ、おはよう」
「おはよう」
 
その少女は同じように顔を洗い――少し、覚悟を決めてから水を顔に被っていた――それから歯磨きを始める。
 
「………………」
「………………」
 
二人揃ってしゃこしゃこ、と音を響かせつつ。
 
【3】
空が明るみだした頃にはもう、港は活気付いていた。
さまざまな物資が積み込まれ、今からどこかへと出港する船や、たった今到着して沢山の品を積み下ろしている船など。
それらを扱う水夫で港はごった返していた。
太陽が顔を出し、光を世界に注ぎ始める頃になれば、その活気も幾分か落ち着いて。
仕事の後の一服、といった様子の水夫達に何事かを聞いて回るルクラを、リズレッタは遠巻きにじっと眺めていた。
 
「『メルディア』、ねぇ」
「昼と夜が逆転した地域……いや、知らないな」
「『メジーナ』? いや、そんな街の港は行った事がない」
「わからん」
「悪いな、力になれなくて」
 
その結果といえば散々なもので、彼女の欲しい情報など欠片も手に入らなかったらしい。
 
「……ありがとうございました」
 
もう宿では朝食の時間がすっかり整えられているだろう。
水夫の数もまばらになってきたのを見てこれまでと判断したのか、ルクラは先ほどまで話していた水夫に丁寧にお辞儀をしてリズレッタの傍へ駆け寄ってきた。
 
「お待たせ。……帰ろっか」
「えぇ。……聞いていたのは故郷のことかしら?」
「……うん」
 
ルクラは軽く頷いて、芳しくない結果に寂しげに笑った。
 
「前も聞き回ったことあったんですけど……なかなか。難しそうです」
「わたくしも生憎、そんな場所は知りませんわね」
「うん……。でも、また帰ってきたら聞き込みしようと思うんです。ちょっと朝早く起きて、ご飯の前ぐらいの時間を使って。……一杯水夫さんが居るんだし、色んな船が此処に来てるんだから、きっと見つかります!」
「……信じれば、とかいうのかしら?」
「うん!」
 
信じることが力になる。
ルクラの口癖みたいなもので、それはリズレッタも何度か聞いたことがあった。
 
「………………」
 
だが、そうやって自分を元気付けている彼女の姿を見るたびに、昨日のパーティの最中『視た』物が脳裏によぎる。
ひそかにベッドの中で泣きはらす彼女の声、どうしようもない奔流となっていた一つの意識。
老婆が訪れて何事かを話したことで少しは立ち直ったとも言えるかもしれないが、本当の解決に至っていないことなどリズレッタは勿論、あの老婆だってわかりきっていることだろう。
この娘はいつも、どんな時でも自分の傷を隠し通す癖がある。
それが裏目に出ていつぞやのような大事件に発展したりもしたのだが、やはりそういう癖はそう簡単には直らないようだった。
 
「……そうですわね。多分そうかもしれないけれど。信じたからって必ずしもそうなるとは限らない。……その度合いが大きいほど、反発が大きいということ、覚えておいても損はありませんわ」
「……そ、だね」
 
リズレッタのそんな指摘に、ルクラは恥ずかしそうに頬を掻く。
言われなくても判ってはいたらしい。
恐らく、認めては居ないのかもしれなかったが。
だからリズレッタは、そんな彼女の姿を見て言った。
応急処置ぐらいにしかならないかもしれないが、しないよりはマシだろう、と。
 
「たまには少しぐらい、重荷になりなさい。それぐらい許可してあげますわ」
「え?」
「……辛ければ、わたくしに頼ってもいいと言っているのですわ。何でもかんでも一人で背負い込んで……全く貴女の悪い癖」
「リズレッタ……」
「望郷の念を抱きたいのなら抱けばいい。わたくしは貴女の故郷なんて知らないしどうにもできないけれど、たまには八つ当たってくれても構いませんわ。……またあんなことになっても困りますもの」
 
最後にそう付け加えて、リズレッタはふいとルクラから視線を逸らして目を閉じた。
顔に熱が篭るのが自分でもよくわかった。
 
「うん……ありがとうリズレッタ。……あ、でもね?」
 
強く手を握られる感触。
 
「信じたことが全部そうなるわけじゃないのは、勿論そうだけど……でもやっぱり信じる! もし……ううん、もしなんていうのも考えない! そのときになったらそのとき! それまでずぅっと信じ続ける!」
「だから、それまではホームシックとはお別れ。この島や、島の人達、出会った人……皆がいるもの。頑張れます!」
「……そう」
 
強がりも勿論入っているようだが、それでもリズレッタや、恐らく老婆も感じているであろう状態にまでは陥っていないらしい。
そういえばなんだかんだでこの娘は根が単純だった気がすると思い出し、リズレッタは小さくため息を吐き出した。
 
「ふふっ! ……あ、でも……。またリズレッタと一緒におやすみしたいなぁ。……だめ?」
「……仕方ないですわね。それぐらいなら」
「ありがと! ……うん、宿に帰ろう? おばあさん、待ってるでしょうから」
「えぇ。そうですわね」
 
手を引けば、しっかりと着いて来る。
その手を離さないようにリズレッタは改めて握りなおし、帰路へと着いた。

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