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六命雑感、あと日記の保管庫もかねています。
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 力の使い方
 
 
【1】
今ルクラとリズレッタは、たった二人で目の前の敵と対峙している。
ニコニコと笑いつつも、敵意を向ける目までは隠さない少年と、付き従う巨大な獣二匹。
見た目からしてかなり強そうな――とくに獣が――存在に、ルクラは内心恐ろしくて仕方なかった。
 
「あの先に居る連中は、わたくし達で片付けますわ。別行動を取ることを提案しますの」
 
そんなリズレッタの発言で、こんな状況になっている。
反論はしたが有無を言わさぬリズレッタの様子に、ルクラは折れるしかなかった。
どうにかリズレッタを言い負かすか説得して愛瑠やエクト、スィン達とともに行けばよかったと思うが最早後の祭り。
そもそもそんなことが自分にできたかと自問自答すれば1秒で“無理”の答えが返ってくるのだ。この状況は必然的とも言えた。
改めて目の前の敵を見る。
以前一度、出会ったことがある連中だ。名前はエド。
獣のような感じを受ける少年で、自分の知り合いにも似たような子が居たな、と考えは右往左往するばかりである。
 
「えーとねぇー・・・・・・なんかね、この道は島の核へと繋がる一本道だったんだってさ!それで神崎さんは慌てて先に行っちゃった。『お前はここにいろ。誰も通すな。』だって。ひどいよねー、お前・たち・だよねぇ。」
 
ぴりぴりと空気が張り詰める。
もう数秒もすれば襲い掛かってくるのが予想できる。
どうしてこんなことになったのか――。
数時間前の出来事を、ルクラはまるで走馬灯のように思い出すのだった。
 
【2】
「『力』が変わったと実感しているかしら」
「え?」
 
別行動を取って直ぐ、そんな言葉がリズレッタの口から飛び出てきた。
さぞ間抜けな表情で聞き返したのか、リズレッタは眉を潜めつつ、少し面倒臭そうに口を開く。
 
「目覚めて以来、貴女は自分の力が変わったと感じたことはありまして?」
「……そういえば……。なんか、感覚が変、かも」
 
先の一戦、タコのような謎の生物に、砂上を我が物顔で行き来する踊り子と対峙したとき、ルクラの攻撃の命中率はあまりよくはなかった。
いつものようにやっているはずが、何故だか違和感を感じる。
そんな感覚に支配されて、うまく集中できなかったのが原因だった。
 
「あんなことがあった後だから、感覚鈍ったのかなって思ってたんだけど……」
「鈍ってなんかいませんわ。正常。寧ろ、鋭いぐらいですの」
「そうなの?」
 
リズレッタは黙って、ルクラの右手を取る。
手首に嵌められた凍りついたバングルを、お互いよく見える位置にまで持ってきてから、再び話し始める。
 
「貴女の暴走の原因は一つ。この島の『マナ』ですわ」
「え……。でも『マナ』はそんなこと……」
「此処の島は、貴女の故郷のものとは少し質が違う。……それは判っているのでしょう?」
「確かに、そうだけど」
「急速な成長を約束する……。この島に来てから、めまぐるしく変化する自分の身体を変だと思ったことは無くて? 通常ならありえない速度でしょう? こんな短期間で此処までの成長なんて」
「……うん。それが、この島の『マナ』のおかげだって言いたいの?」
「そう。そして貴女の力が暴走したきっかけも『マナ』だと言いたいのですわ。……噂で耳にしたことはあるのではないのかしら? 地下二階の狂人共の話。暴走の典型例ですわ。もっとも、貴女の場合の暴走はやや違ってくるけれど」
「んーと……つまり……?」
「このバングルは」
 
少しだけ握ったルクラの腕を上げる。
 
「貴女の姿を偽るだけの品ではありませんわ。……貴女に強い力の抑制を掛ける働きもある。……いえ、性格には、偽りの効果を持つのははめ込まれた宝石が。バングル自体は、貴女の力を封じ込めていますの」
「封じ……? まさか」
「わからなくても理解なさい。事実ですのよ。その力と向き合って片腕を一度飛ばされたわたくしの言葉を信じないと?」
「そ、そうじゃないけど……」
「本来なら、そのバングルだけで十分押さえつけられるはずだった力。けれど……この島の『マナ』の作用の一つ、先ほど挙げた『急速な成長効果』がその本来を崩してしまった。抑えられないほどに、貴女に秘められた力を強めてしまった。だから……あんなことが起こったのですわ」
「……それじゃあ、また……暴走しちゃうの? このままだと……」
 
不安げな表情を見やり、リズレッタは薄く笑った。
 
「それはもう無いでしょう。今の貴女はこの島の『マナ』から遮断された状態なのだから」
「えっ!?」
「わたくしは元々、この島の『マナ』なんて得体の知れない力とは付き合っていませんの。遮断する術を知っていて、それを使って決して触れないようにしていた。勿論それは簡単な方法ではありませんけれど。わたくしのような存在になって始めて使えるような高等な術ですわ。このバングルにもう一度封印を施した時に……わたくしの力を大分込めましたのよ。感謝なさい?」
「あ、ありがとう……。……んと、それってつまり、封印をもう一度施した所為で……リズレッタの力がわたしに?」
「えぇ。貴女も使えるようになった。このわたくしの力に、貴女は今一番近い所に居ることになりますもの。それぐらい造作も無いこと。現にもう意識せずに使っていますし」
「だからなんだか違和感があったんですね……」
「元々貴女は力が強すぎるのですわ。別にこの島の『マナ』なんて無くとも全く支障が無いぐらい」
「そうなんだ……でも、しばらくは皆に迷惑かけちゃいそうですね……」
「すぐに慣れるでしょう。そのための別行動ですもの」
「え?」
 
にやり、とリズレッタは笑っていた。
 
【3】
 
「全力で……辺りを破壊したって構わない。全力で戦いなさい。それが一番近道ですわ」
「リ、リズ――」
「・・・・・・っま!そういうわけだから、よろしくぅッ!!」
 
ルクラの戸惑いの声は、凶暴な獣の声に掻き消された。

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 神聖な奴隷の儀
 
 
【1】
 
ぱちり、と目を開いて、ルクラは自分の手を目の前に持ってきてぐぅ、ぱぁと動かしてみる。
それから目を擦り、確かな感触があることを確かめた。
窓から差し込む光は無く、空には薄暗い藍色が広がっている。
身に纏わりつく空気を考えると、どうやら夕方らしいとルクラは推測し、そして時計を見てその正しさを悟った。
あの夜中の騒動から17時間ほどの経過。
長い間眠り続けていたというのに、或いは眠り続けていたからか、こんな時間までぐっすりと眠っていたことにルクラは内心驚いていた。
早く起きて階下にいるであろうリズレッタと老婆に、改めて挨拶をしなければとベッドから這い出して、スリッパを履いていたその時だった。
 
「あら」
 
扉を開けて部屋の中を覗き込み、起きたルクラの姿を見てそんな声を上げたのはリズレッタだった。
 
「ようやく起きましたの。あれだけ眠ったのにまだ寝足り無かったのかしら?」
「リズレッタ……」
「おはようございます、お嬢さん」
 
彼女の後に続くようにして入ってきたのは、この宿の主である老婆。
 
「……おばあさん」
「体の調子は、どうかしら……? どこか変なところは、ありませんか?」
「いえ……特には、ないです」
「よかった……」
 
それだけ聞くと老婆は、ルクラを優しく抱きしめた。
花のよい香りがルクラの鼻腔をくすぐり、それはルクラに心の中に芽生えた申し訳なさという感情をいくらか和らげてくれる。
 
「本当に、よかった。もう二度とお話ができないかと思って……」
「ごめんなさい、おばあさん。わたし……」
「いいの、いいのよ。こうして無事に帰ってきてくれた……それだけで十分です……」
「おばあさん……っ」
 
老婆の目じりに涙が浮かんでいるのを見てしまえば、感情を抑えることなどとてもできなかった。
こうして自分が此処にいる、“帰ってきたのだ”と実感したその瞬間、さまざまな思いが溢れ出して、止まらない。
しばらく室内には、二人分のすすり泣く声だけが響いていた。
 
「全く。本当にどうなることかと思いましたわ」
 
頃合を見計らって、リズレッタは口を開いた。
 
「リズレッタ……。……! け、怪我は……大丈夫なの?」
「怪我? ……あぁ、お前が切り飛ばした腕のこと?」
 
五体満足でいる様子に、ルクラは目を丸くしている。
無くなったはずの腕を撫でながら、リズレッタは不敵な笑みを浮かべて答えた。
 
「あの程度でこのわたくしに傷をつけることなど、できるわけが無いでしょう? 服はだめになったけれど」
 
真実は些か違うが、それをルクラに伝えたところでどうなるわけでもない。
悪影響ばかりが残ることを考慮して、リズレッタはそう答えたのだった。
 
「……本当に、ごめんなさいリズレッタ」
 
なにしろ、その答えであってもルクラはすっかり落ち込んでいるのだ。
真実を伝えたら一体何時立ち直るか見当もつかない。
 
「謝罪は当然。それだけのことを貴女はしたのだから。……ミセスに感謝なさい。そして当然このわたくしにも、深い深い感謝の念を抱き続けることですわ。それから……お前を取り巻く全ての人々にも」
 
今は自分だけに後悔や反省の念を向けるべきではないとリズレッタもわかっている。
だからこその、受け答え。
 
「……まだ夕食まで時間がありますわ。少し散歩でもしてきたら如何?」
 
この部屋にいても、そして自分達が近くにいる場所では、気持ちの整理もつかないだろうことを見越して、更に続けて提案する。
頷くと確信していた。
 
「うん……。あの、ちょっと出てきます。お夕飯には間に合うように帰ってきますから……」
「えぇ……いいですけれど、あまり人気の無いところへは行ってはいけませんよ?」
「はい」
 
予想通り彼女は頷いて、手早く着替えを済ませて、部屋を出て行ってしまった。
 
「……大丈夫かしら……」
 
見送ったものの、心配そうな表情を老婆は隠そうともしていない。
その心配の種が何なのかリズレッタは察して、笑みを浮かべて質問した。
 
「『あおいろのばけもの』の事でも気にかけているのかしら、ミセス?」
 
遺跡外を騒がせる存在は、当然リズレッタの耳にも入っている。
常に遺跡外にいる老婆には、今自分が持っている噂の倍は耳に入っているだろう。
どうやら図星だったようで、老婆は少し戸惑いつつも答えた。
 
「え、えぇ……。遺跡の外で、最近多発しているというでしょう? まだ空は明るいし、ちゃんと彼女は言いつけを守ってくれるいい子ですけれど……」
「もしものときは駆けつけますわ。わたくしもその『ばけもの』に興味が無いわけでは無いですし」
「……?」
「あぁ……話してませんでしたわね。今のあの娘の感覚や思考……『視え』ますの」
「視える……?」
「何故だかは判らないけれど。今何処を歩いているのか、何を考えているのか手に取るようにわかりますわ。……あぁ、今こけましたわね。……一つ云えるのは貴女のおかげですわ、ミセス?」
「私の……?」
 
リズレッタはベッドに腰掛けて、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
 
「あの娘を呼び戻すのに行った方法は本来であれば……こんな状況にはならなかった。そうでしょう? 貴女も驚いているのではなくて?」
「………………」
 
老婆は静かに頷き、そして口を開く。
 
「貴女に指示されたのは、こんな結果を残すような良い方法ではありませんでした。……『奴隷の儀』でしたもの」
「あの娘の強固な封印を通り抜けるためには、あの娘の力自体にわたくしが同化する必要があった。選択肢はそれしかありませんでしたわ。……『契約』という橋を使って、『封印』と言う川を越えた。その橋渡し代は――」
「『一生の服従』……。でも、今貴女は自由に振舞っていますね。本来であれば、あのバングルに吸収されてしまう所だったのに」
「えぇ。それに力だって、あの娘に全て捧げた筈なのに……、あの娘が傍にいると、前より調子が良いぐらいですわ」
 
“得ばかり残りましたわね”と笑い、急にリズレッタは真面目な顔を見せる。
 
「……全て貴女のおかげですわ、ミセス」
「え……?」
「貴女の存在。そうとしか考えられないのですわ、現状は。一体どんな手品を使って見せたのかしら?」
「いえ……特に何も、貴女に指示された通りをしただけですよ。ただ……」
「ただ?」
「……貴方達二人がどうか無事に帰ってきますようにと、必死にお祈りをしたんです」
「お祈り……?」
 
老婆の言葉を鸚鵡返しに呟いた後、リズレッタはさもおかしそうに声を上げて笑い出す。
 
「貴女……! 『奴隷の儀』に『お祈り』ですって? ふ……あははは……! 邪悪な儀式にそんな神聖な行為を紛れ込ませてどうしますの!? あぁ可笑しい……!」
 
笑いすぎて涙が浮かんだ目元を拭いつつ、リズレッタはいまだにくすくすと笑いながら老婆に言った。
 
「でも……それで説明は付くかもしれませんわねミセス。貴女のその強い祈りの力……それが今の状態を生み出した。わたくしの力が、あの娘が必要とはいえ前より強い状態で残っている事も、あの娘との感覚や思考の共有ができるのも……きっとそうなんでしょう」
「……私だけの力ではありませんよ。あの場に訪れた……いえ。私と同じ思いだった沢山の人々祈りが……きっと今の結果を生み出してくれたのです」
「ふふ……そういうことに、しておきま――?」
 
戸惑いに言葉を切る。
老婆が自分をしっかりと抱きしめていることに、リズレッタは驚いた。
 
「な……なんですの? いきなり」
「あの子を助けてくれて……ありがとう。そして……貴女も無事で本当に良かった」
「………………」
「貴方達は、私の孫も同然……どちらも失いたくなど無いわ……」
「……わたくしはやりたいことをしただけですわ、ミセス。礼には及びませんの」
 
わざと感情を込めずぶっきらぼうに返したリズレッタだが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
 
散り舞う火花に幸せを見出す
 
 
【1】
潮騒を身に感じながら、砂浜を歩く。
落陽を望み、だんだんと衰え始めた黄金色の光を身に受けながら、ひたすらに歩く。
考えるのは、自分が眠っていた間の事。
正確に言えば、その間自分が見ていた夢の事。
ひたすらに罪悪感に囚われ、払拭するために反省の言葉を呟き続けていた中に飛び込んできたのは、他の誰でもない、リズレッタだった。
その時彼女に何を言われたかははっきりとは覚えていない。
ただ、彼女はとてつもなく怒っており、その原因が自分であること。
彼女が怒りの言葉をぶつけるたびに、自分の脳裏に次々と、いろいろな人の顔が浮かび上がったことは覚えていた。
 
“帰りたい”“皆に会いたい”“謝りたい”
 
そう願った瞬間、夢が醒めた。
 
「……よく、わかんないや」
 
その夢が何だったのか、それはルクラには判らない。
だが、判らなくても良かった。
 
「……うん、決めた!」
 
自分が今何をすべきかは夢を思い出して顧みる事ではなく、自分と親しくしていた人々と出会い、無事を報告することなのだ。
リズレッタが居れば夢のことばかり話してこうは行かなかっただろうということを思い、ルクラはこの場に居ない存在に感謝の念を送った。
 
「……ふぅ」
 
一度決心がつけば、なんだか焦っていた心も落ち着いた。
周りを見渡す余裕もできる。
 
「……?」
 
いつもなら静まり返っている浜辺は、今の時間だと随分人通りが多い。
ここに来たのも無意識に人並みに乗ってきてしまった故であった。
誰もが浮かれたような顔をして歩いている。
何故だろうと更に見渡してみると。
 
「あれ?」
 
見慣れぬ店が一軒、視界に収まった。
あんなところに店などあっただろうか?
潮騒を掻き消す人の喧騒に思わず足が向く。
食べ物の良い匂いがすることを鼻が感知すれば、更にその足は速く。
そうして店の中の様子がだんだんと見え始め、そして――。
 
「あ……」
 

***サマーバケーション 夜の部***

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 『おかえりなさい』
 
 
【1】
「反省? それが、『反省』だと云うの」
 
握り締めた手をゆっくりと開けば、粉々になった氷の欠片が零れ落ちた。
リズレッタはじっとルクラを見つめて、静かに言葉を紡ぎ続ける。
 
「罪の意識に苛まれた挙句、こんな薄暗い、居るだけで不愉快になるような場所に引きこもっている行動をお前は反省だと……?」
 
大きく息を吐き出し、そして大きく息を吸った。
 
「ふざけるなっ! この莫迦娘っ!!!」
 
ルクラの傍に居る少女は再び身体をびくりと震わせた。
頬を紅潮させ、リズレッタはあらん限りの大声でルクラに言葉を投げつけていく。
 
「何が反省だ! ただ泣きはらしお前は逃げているだけじゃありませんの!!! 全てに背を向けて無様に逃げ出して、耳を塞いで誰の声も受け入れていないだけ!!! そんなものをよく『反省』だと偉そうに口を利けますわね! 恥を知りなさいっ!!! ……誰も嫌いたくは無い? 誰からも愛されたい? そんな科白はお前自身を省みてから口に出しなさい!!!」
 
容赦なく批難する言葉を叩きつける。
少女やルクラの言う事すべてが気に喰わない。
口から出てくる乱暴な言葉は、止まらない。
初めてリズレッタは、ルクラに対して心の底から怒りを湧き上がらせていたのだ。
 
「罪に立ち向かうことすら出来ない軟弱者! そんなゴミ以下の価値しかないお前など……誰からの寵愛も受ける資格などありませんわっ!!!」
 
リズレッタの口が閉じられれば、驚くほどの静寂が訪れる。
しかしそれも、数秒の間だけだった。
少女が敵意をむき出しにしてリズレッタを睨み付けている。
 
「あなたに……あなたになにがわかるの! いったいわたしのなにがわかるっていうのっ!!! なんにもしらないくせにっ!!!」
 
そして負けじと大声で噛み付いた。
傍にいたルクラも、目を大きく見開いてリズレッタを見やり、ゆっくりと立ち上がった。
そして怒りを露にした様子で口を開く。
 
「竜の血を引いている……たったそれだけの理由!」
 
自分の胸に掌を当てれば、彼女の瞳は黄色く輝き、白い翼と尻尾が猛り狂った様子をリズレッタに見せる。
 
「それだけで人間はわたしを差別する!!! 辛いこと、楽しいこと、なんでも共有できるような『親友』でさえ……わたしの事を知ってしまえばあっという間に裏切った!!!」
 
その目尻には雫が輝き続けている。
それでもそれを零すまいと必死に堪えているのが、リズレッタにも判った。
 
「あなたに……あなたにわかるの? ずっと嘘をつきつづけて生きる『辛さ』が! 本当の自分を見せることのできない『悲しさ』が! 自分の血を呪う『怒り』が! 人間に裏切られた『苦しさ』が!!! わかるのっ!!! 何も知らないくせに説教をするのは止めてっ!!! もうこれ以上わたしに何も……何も押し付けないでよぉっ!!!」
 
堰を切ったようにルクラの目から涙が流れ出す。
頭を振って、再び顔を両の手で覆って、その場に座り込んだ。
 
「もう悪い子のままでいい! わたしは……もう……!!!」
 
泣きじゃくるルクラを前に、リズレッタの顔は暗く重い物へと移り変わった。
 
「……そう」
 
怒りの炎は一瞬にして隠れて、無表情とも取れる冷ややかな態度へとなり。
 
「それじゃあお前は『嘘つき』で、更に『裏切り者』として死に行くというのですわね」
 
静かに紡ぎだしたはずのその言葉は、今までのどんな言葉よりも大きく響いていた。
ルクラにとってそれは予想外の言葉だったのだろう、驚愕に染まった表情を隠そうともしていない。
 
「お前はわたくしに嘘をつこうとしている。お前の本当の姿などどうでもいい、もっと他の嘘をつこうとしていますわ。このまま頑固に、知りたくも無いお前だけの事情を盾にしてここに居続けるなら嘘は成立。めでたくお前は最悪の『嘘つき』になる」
 
そんな彼女に、リズレッタは一つずつゆっくりと、子供に物を教えるかのように話し続ける。
 
「でももう一つお前は……『裏切り者』の名を背負って消えていく」
「どうして! わたしは……わたしは誰も裏切ってなんか無い!」
「いいえ、お前は大勢の人間を裏切ることになりますわ」
「ちがう! ……ちがう! わたしは誰も――!!!」
 
何度も頭を振って否定するルクラ。
 
「……何故、気づきませんの」
 
その姿がまた、リズレッタの神経を逆撫でする。
 
「……何故お前の帰りを待ちわびる沢山の連中の存在に気がつこうとしませんの!? どれだけお前のことを気にかけて、無事を祈っている連中が居るか!」
 
蔦に邪魔されるのも構わず、入り口の無い鳥篭を掴んで怒鳴り散す。
 
「判らないなら教えてやりますわ! 共に探索をする少年少女達! かぼちゃの涙亭とやらの女主人に給仕に従者! 宿の庭に訪れていた人々! 黒い翼を持った女性も、随分熱心にお前を看ていましたわ! もちろん、あの宿の主である老婆だって! 他にも、沢山居るのでしょうね! わたくしが知らないだけで、お前はあちこちで沢山の人々と出会い、話していたのだから!!!」
 
誰もが皆一様に、ルクラの無事を心から願い待っている人々ばかりだった。
少なからずその様子に触れたリズレッタからすれば、その人々を蔑ろにするルクラの言動など、到底認められるものではない。
そして蔑ろにされているのはその人々だけではない。
当然、今此処にいるリズレッタも同じだった。
 
「お前は彼らの気持ちを無視して、消え行くの!? だとしたらそれは立派な裏切り! だからお前は『裏切り者』なのですわ!!!」
「……わた、し……」
 
ルクラの様子が、少しだけ変わった。
自暴自棄だった先ほどまでとは違い、明らかな未練の光が瞳に宿った。
 
「此処に留まる? ……そんなことは、このわたくしが認めない! 許さない!」
 
だが、怒りに再び支配されているリズレッタには気づくことはできない、僅かな変化だった。
 
「そんな選択をお前が取るのなら……いっそこの手で、この場でお前もその小娘も殺してやる!!!」
 
リズレッタは絡まる蔦を乱暴に振り払い、鳥篭から手を離して少し距離を置く。
次の瞬間、ルクラと少女の周りに冷気が集い。
 
「っ……!?」
 
膨大な数の氷のナイフが生み出されたのはほんの一瞬だった。
身動きをとることすら叶わない程のそれらに囲まれた二人はリズレッタの次の行動を待つしかない。
 
「どちらの道を歩むか決めなさい! 此処を出て、罪と向き合うか! 『嘘つき』で『裏切り者』としてこの場でわたくしに殺されるか!!!」
 
自身の手の内に新しく生み出した氷のナイフの切っ先をルクラに向けて、リズレッタは睨み付ける。
 
「答えなさい! ――ルクラ=フィアーレッ!!!」
「わたしは……わたしっ……はっ……!!!」
 
――鳥篭が、崩れていく。
 
【2】
情けない顔だ、そう思って、リズレッタは薄く笑った。
見るだけで苛々するはずだったのに、今はその表情が愛おしくも思える。
 
「……そう答えると思いましたわ」
 
彼女は何と言っていいか悩んでいるらしいと察して、助け舟のつもりでそう呟いた。
それをきっかけにするかのように、ルクラはリズレッタの元へと駆け出して、思い切り飛びついたのだった。
 
「リズレッタ……」
 
リズレッタはそんなルクラの身体をしっかり受け止めてやり、そして自分の足で立つように仕草だけで促す。
 
「……ごめん――」
 
そして思い切り、頬を叩いた。
 
「いったぁ……!?」
 
泣きそうだった表情から目を白黒させて、叩かれた頬を押さえて戸惑っているルクラを見て、かなり気持ちがすっきりした。
 
「決断も謝るのも遅すぎますわ、全く! 深く反省なさい!」
「ご……ごめんなさい!」
「今お前の頬を張ったのでわたくしからのお仕置きは終わりにしてあげますわ! 寛大なわたくしの心に感謝することですわね!」
 
真っ暗な空間には今、光が差していた。
自然とそちらに足が向く。
勿論ルクラの手は、リズレッタの手の中にしっかりと握り締められている。
 
「……帰りますわよ」
「……うん」
 
一歩足を踏み出す。
 
「また、おいていくんだ」
 
しかし背に掛かった幼い声に歩みを止めた。
ふてくされたような顔の少女がリズレッタ達をじっと睨んでいる。
 
「またわたしをここへおいていって。むりやりわすれて、わたしをずっとここにとじこめるんだね。……いいよ。かってにいけば」
 
少女の後には、闇が広がっている。
差し込む光すら飲み込む、深淵だった。
 
「……そうやってまた、うそをついてたちなおったふりをしていればいい! じぶんからここにもどってくるにきまってるもの! なんどだってここにわたしをとじこめていればいいんだ!!!」
 
表情を歪ませて、少女は吼える。
怨恨に満ちたそれを隠すことなく、ルクラにぶつけている。
 
「……小煩い」
「ま、待ってリズレッタ!」
 
眉をひそめたリズレッタが再びナイフを手に取ったのを、ルクラは慌てて止めた。
自分に向けられた声に、ショックを受けている様子は無いようだ。
どころか彼女は、少女の下へと近づく。
その行動が理解できなかったのか、少女は怪訝な顔で見つめていた。
 
「なによ! さっさといっちゃえ!」
 
その口ぶりも、敵意に満ちたまま。
しかしルクラは。
 
「……え」
 
優しく少女を、抱きしめていた。
 
「……行こう? 一緒に、此処を出よう?」
「何を考えてますの?」
 
少女もリズレッタも、驚きの表情でルクラを見やる。
ルクラは微笑みながら答えた。
 
「リズレッタは、言ったでしょ? 『罪と向き合え』、って。わたしの罪はもう一つある。……この子を……『昔のわたし』を此処に閉じ込めたのが、そう」
 
ルクラは少女を――もう一人のルクラを強く抱きしめ、瞳を閉じた。
彼女の存在をしっかりと感じるかのように。
 
「もう逃げない。絶対に。……ね?」
 
嗚咽を漏らし、泣き始めた少女を抱き上げて、ルクラは彼女の背中を何度も撫でていた。
 
「……世話の焼ける小娘達ですわね」
 
再び、光向かって歩き出す。
二人ではなく、『三人』で。
 
【3】
ゆっくりを目を開けて、映ったのは星空。
続いて飛び込んできたのは、今にも泣きそうな表情で自分を覗き込んでいるリーチャの顔。
あっという間に耳の周りは心地よい、喜びの喧騒で埋め尽くされても、しばらくルクラはぼんやりとしていた。
ただ、何度も何度も投げかけられるある言葉に、彼女はなんとなくそう返さなくてはならない気がして、たった一言――。

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届け眠り姫の下へ
 
 
【1】
“アマノガワ”と呼ばれる巨大な光の帯は、街の灯があまり届かないここ、宿“流れ星”へと続く道ではよく見える。
しばし頭上の届かぬ場所にあるそれらを眺めながら、四人はやってきた。
そしてその先に広がる光景に、思わず息を呑んだのである。
 
「これは……」
 
庭に設置されていたテーブルも椅子も日除けも全て隅の方へ追いやられ、庭は本来の広さを取り戻していた。
この宿に住む主は、なかなか裕福な生活を送っているのだと改めて認識させられる。
しかし今は、庭の広さに気を取られる暇は無かった。
 
「魔方陣のようですね」
 
レオノールが呟いた言葉に、ルークが返す。
冷静に返事を返してはいるが、彼の視線も目の前にある魔方陣に釘付けになっていた。
いま、庭には淡く輝く文様が刻み込まれていた。その殆どを占領するほどに巨大な魔方陣である。
 
「あっ! おばーちゃん!」
 
その魔方陣の中で、彼らも良く知るこの宿の主である老婆が何かをしているのを見て、リーチャが声を上げて小走りに近づいた。
どうやら老婆は、皮袋の中からきらきらと光を受けて反射する色の付いた粉をあちこちにうず高く盛っているようだった。
赤、青、黄色、緑、そして白色と五種の粉の山。
 
「あぁ……来て頂けたんですね、皆さん。こんな時間に、ごめんなさいねぇ……」
「あの……ルクラちゃんを助けるって本当なんですか!?」
 
リーチャの問いに、老婆はゆっくりと肯いて見せた。
しかし、至極真面目な顔つきで言葉を続ける。
 
「……これは、賭けになるわ。必ず助けられるという保障は、どこにも無い」
「そんな……!」
「でも、私は必ず助けられると信じています……。あの子の事を想う人が、沢山いるのだから、きっと」
 
そこまで言って、老婆はふっと顔に笑みを浮かべた。
それはティアには、リーチャや自分達だけではなく、老婆自身にも向けられていた様な気がしてならなかった。
笑みの中に見える瞳の光には、過剰なまでに力が篭っている。
老婆の感情がとても張り詰めている事を察知したのだ。
多少なりとも知識は持ってはいるが、この老婆が何をしようとしているのかまではティアにも判らない。
だから下手に言葉をかけて緊張を高めるよりも、今は黙っているほうがいいだろうと彼女は判断する。
 
「準備はできたみたいですわね」
 
その声に振り返ると、リズレッタが立っていた。
いつもの様にその感情が窺い知る事の出来ないどこか冷めた様な表情で、老婆や呼ばれた四人の客人たちを眺めている。
 
「……えぇ。いつでも、できますよ」
「では始めましょう。……連れて来て頂戴?」
 
リズレッタが自分の後にそう声を掛けると、宿の影からルクラを抱き抱えたスィンが現れ、その後にエクトや愛瑠達が続いて現れる。
スィンはゆっくりと慎重に、ルクラを抱き抱えたまま魔方陣の中央まで行き、そしてそこに彼女を降ろした。
 
「何か手伝えることは無いのか?」
 
じっとその様子を見守っていたレオノールが、悔しそうな様子を隠そうともせずそう言葉を発した。
老婆はそんな彼女の顔をじっと見つめて、小さく肯く。
 
「……皆さん、手を繋いで頂けますか」
「手を……?」
 
老婆の指示にレオノールたちはきょとんとした表情を見せるが。
 
「いいから、いいから」
 
愛瑠が彼らの間に飛んできて、指を一生懸命に引っ張って手を繋ぐように促す。
彼女に倣う様にめるやスィンやエクトも手を繋ぎ始めた。
 
「……皆さんには、願っていただきたいのです」
 
魔方陣の外に出て、手を首の後ろに回しながら老婆は言った。
再び手を前に戻した時、その手の中には古ぼけた銀製のペンダントが収まっていた。
竜の姿を模った、ペンダント。
 
「……あの子達の、無事を」
 
布に包まれた壊れたバングルを取り出しているリズレッタの姿を見つめ、老婆は言った。
 
「始めなさい」
 
布を捨て去り、バングルを直接リズレッタは掴んでいた。
余程の苦痛が彼女を襲っているのか、時たまその表情は歪んでいる。
 
「では……皆さん。始めます」
 
老婆がペンダントを固く握り締め、何かに祈るような仕草を見せた。
それと同時に、淡く輝くだけだった魔方陣が急にその輝きを増す。
そして、ゆっくりとルクラは宙に浮き始めたのだった。
 
【2】
 
相も変わらず、今にも涙を流しそうな表情で眠り続けている。世話の焼ける小娘だ。
お人好で、悪意の欠片も無い、莫迦な小娘。あれだけ自分に大口を叩いたというのに――。
 
……あぁ、そうか。

まだ、この小娘は思い出していないのだった。

本当に莫迦な小娘だ。ずっと思い出すのを待ってやっているのに、何時まで経っても思い出さない。

このまま永遠に、思い出すことなく命の火を消すつもりか?
 
 
……そんなこと許しはしない。思い出させてやろう。
口に出したことはやり遂げてもらう。このままでは逃さない。
機は熟した。この力全て、最後の一滴まで、お前にくれてやる。その代わり、絶対に――

絶対に、連れ帰ってやる!
 
 
壊れたバングルを、リズレッタはルクラの右手首にそっと嵌めた。
破壊された部分が、氷によって補われていく。
形が氷で補われていくにつれて、リズレッタは自分の力が吸われて消えていくのを感じた。
感覚が消え、聴覚が消え、そして最後に視覚が消える。
それでも彼女は止めることは無い。
最後の一滴まで、バングルに注ぎ込んだその瞬間。
 
「……あなたは、だぁれ?」
 
真っ暗に染まった視界の中、その目の前に一人の少女が現れたのだった。
 
【3】
「おかしいな、だれも入れないようにしてたのに」
 
少女はそう言いながら首をかしげ、白い翼と尻尾を無造作に動かした。
 
「みたことない、おねえちゃんだね。なにしにきたの?」
 
明るい黄色、細長い瞳孔の瞳はさながら蛇のそれで、じっと少女はリズレッタを見つめている。
しばしそんな少女の様子を無視しながら、体の異常が特に無いことを確認し終えたリズレッタは、改めて少女を眺める。
少女は驚くほどルクラによく似ていた。
もう少し彼女が幼くなれば、ちょうどこんな感じなのだろうと容易に想像が付く。
それほどまでに似ている。
ただ、一つだけ決定的な違いがあった。
その表情は、疑心暗鬼に満ち溢れている。
全てを恐れて、頑なに近づけようとしない様子が見て取れる。
 
「ねぇ、こたえてよ。おねえちゃんは、なにしにきたの?」
「……起こしに来たのですわ」
「おこしに? だれを?」
「延々と眠り続ける莫迦な小娘を一人」
「ふーん」
 
興味なんて無い、とでも言うかのようにそう返して、少女は自分の尻尾を弄んでいる。
 
「此処は何処ですの?」
「ここはわたしのへやだよ」
「こんな暗い場所が?」
 
辺りを少女は見回して、それからこくりと肯いた。
 
「そうだよ。ずーっとここにいるの。わたしはいたくないのに、だしてくれないんだ。……つまんないばしょだよ」
「何故出してもらえないのかしら?」
「『めいわく』がかかるから」
 
道端に転がった小石を蹴る様な仕草を見せながら、少女は続ける。
 
「ひどいよね。わたしをおいていって、あのこはひとりでいっちゃった。『めいわく』だなんていうのも、あのこがかってにきめたこと。……でも、いいの。あのこはまちがってたことにきづいて、ここにかえってきたんだから」
 
にっこりと少女は笑う。
陰のある、嫌な笑みだった。
 
「……っ!」
 
その後に、巨大な鳥籠のような場所に囚われているルクラの姿が浮かび上がる。
笑みを浮かべたままの少女を無視して、リズレッタは一目散にその場所へと駆け寄った。
 
「ちょっと……!」
 
その巨大な鳥籠には入り口がなかった。
何処からも入ることが出来ない巨大な籠。
 
「痛っ……!」
 
籠に手を掛ければ、何処からか蔦が伸びて、邪魔をする。
蔦に生えた棘がリズレッタの手を傷つけた。
 
「あかないよ」
 
あざ笑うかのように、少女は後から面白そうに声を掛けてくる。
それが無性に腹立たしくて、リズレッタは少女を睨み付けた。
 
「……どういうことですの」
「あのこがじぶんでつくってじぶんではいってるんだよ」
 
蔦に覆われてしまった籠の中、少ししか見えなくなったルクラは、泣いているようだった。
 
「ごめん……なさい……ごめんなさい……ゆるして……ゆるして……」
 
すすり泣くような声で、壊れたようにただひたすらに誰かに許しを請うている。
 
「わるいことしたら、はんせいしなきゃいけないもんね」
 
面白そうにそれを眺めている少女をもう一度睨み付けて、リズレッタは再び巨大な鳥篭と対峙する。
 
「此処を開けなさい! 何時までも莫迦みたいに泣いてどうするというの!」
「わたしは悪い子です……反省してます……ゆるして……ゆるしてぇ……」
「あぁもう! 聞こえないの!?」
 
思わず鳥篭に掴みかかって、また蔦に邪魔をされていくらか血を零す。
 
「どんなに『良い子』でいたってわたしは『化け物』なんだから。だれともなかよくなんてなれない。なのにこのこは、それをみとめずに、わたしをおいていったんだ」
 
「だれにもきらわれたくない。だれもきらいたくない。だれからもあいされたい。だからずっといいこでいる。でも、むりだったね。けっきょくだれかをきずつけて、いいこじゃなくなっちゃった。なんねんもわたしをここにとじこめて、けっきょく、こんなけっか」
 
「ばかみたい。もうずっと、そこでないていればいい。どれだけはんせいしたって、もうここからはでられない」
 
少女が鳥篭に近づく。
そして、邪魔をされることなく、すっと鳥篭の中へと入っていく。
泣き続けるルクラを抱きしめた。
 
「もういいじゃない。このままずっとここにいよう? ずっと『反省』していよう? ずーっと――」
 
何かが強烈な勢いで鳥篭に叩きつけられる、凄まじい音が響いた。
音の方向へ少女は視線を向けて、そして顔をこわばらせる。
 
「……勝手なことを、いつまでも無駄に喋るんじゃありませんわ、小娘。……切り刻みますわよ?」
 
叩き付けた衝撃に耐え切れず飛び散った氷のナイフの残骸をぐしゃりと握り締めて、殺意の篭った視線を少女に向けるリズレッタが、そこに居た。

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 思いは一つ
 
 
【1】
遺跡から戻って、愛瑠たちと別れ。
リズレッタの足は自然と宿『流れ星』へと向いていた。
それに気づいたのは、宿が目の前に見えてからという随分遅いものだったが。
帰りたくない気持ちは消えたわけではない。どころか前より強い。
それでも今、宿が目の前に見えているこの状況で踵を返す行動には移れなかった。
やや緊張した面持ちで入り口に近づき、扉の取っ手を硬く握る。
ゆっくりと開き、ゆっくりと中に入る。
リビングにはいつものように老婆が居た。
驚いたような表情でこちらを見る彼女は少々、やつれていた。
ろくに睡眠も食事も取っていないことが直ぐに判る。
 
「貴女まで何か悪い物でも貰ったのかしら、ミセス?」
 
返事は無い。
難しい表情をして、ふいと視線を逸らしただけだ。
そんな様子にリズレッタはため息を一つ付く。
 
「……貴女まで倒れたら困りますわ。少しは自愛なさい」
 
二階で眠っている少女のように大げさに驚いたり、ましてや手を貸すことなどは無い。
言葉を投げかけるだけで終いだった。
それでも過去のリズレッタを知るものがもし此処に居れば、その言葉だけでも驚かれるに違いない。
そのまま足は二階へと続く階段へ向かう。
 
「あ……」
 
老婆の小さな声が聞こえたが、立ち止まらなかった。
 
【2】
「……君は?」
 
ルクラの眠る部屋の扉を開けて中に入るなり、そんな声を掛けられてリズレッタは少しだけ目を見開いた。
昼時の眩しい日差しが差し込み明るい室内には場違いなほどの黒い色が、部屋の中にある。
それは翼だった。
そして扉を開けた自分を見る女性の髪や肌の色はそんな黒い翼とは対照的だった。
 
「人に名を聞く前にはまず自分から名乗るべきですわ。……そうではなくて?」
 
自分にとって見知らぬ女性が、ルクラの部屋に居る。
なんだかそれが酷く気に喰わなくて、憮然とした態度を以ってそう返した。
一瞬戸惑った様子を見せた女性だが、直ぐに最初の時のように真面目な顔つきに戻り、答える。
 
「……すまない。私はレオノール=ライトニングリッジだ」
 
黒い翼を持つ女性、レオノールの名はリズレッタも聞いたことがある。
無論目の前で眠っている少女から聞かされてだ。
南瓜の涙亭とやらの店主とそのバイトのことを話すときも彼女は眼を爛々と輝かせていたものだが、思うにこのレオノールという女性のことを語っているときが一番“楽しそう”だったことをリズレッタは僅かに記憶していた。
 
「わたくしはリズレッタ。……一応その娘の友人ですわ。……それで? 誰の許可を得て此処にいるのかしら」
 
ルクラの事はひた隠しにすると老婆と取り決めた筈だった。
状況を一部知っている愛瑠やエクト、スィン達にもきつく口止めもしている。
誰にも彼女の状況を知られてはならないはずなのに、無関係のはずのレオノールが何故居るのか、リズレッタには理解できなかった。
押し黙るレオノールを見つつ、リズレッタはふと消沈しきった老婆を思い出す。
 
「……いえ。答えなくて結構ですわ。大体事情は察しましたから」
「すまない」
「謝る必要など無いでしょう? どういうつもりか知らないけれど、此処の主人は秘密を守る気を無くしただけのようだし」
「秘密……? ずっと、隠していたのか?」
「えぇ、そうですわ。広めても仕方が無いでしょう、こんなことを? 尤も、わたくしたちが広めなくても勝手に噂は立っていたようだけれど」
 
何気なく部屋を見渡して、見慣れないものが壁に掛かっているのに気が付いた。
なんとなく誰が置いていったかわかる、制服。
秘密を知っているのはレオノールだけではないようだ。
 
「……ルクラに一体、何があったのか教えてもらえないだろうか? 正直……何も判らなくて戸惑っているんだ」
「平たく言えば『封印』ですわ」
「『封印』?」
「この娘の正体はご存知かしら」
「……少しは彼女から聞いている。ドラゴニュートだとは」
 
リズレッタは懐から一つの品を取り出した。
布に包まれたそれは、ルクラが肌身離さず実につけていたバングルだ。
いまやぼろぼろに壊れてしまっているが。
 
「あの老婆が秘密を守る気がなくなったのなら、わたくしも秘密は隠さないことにしますわ」
「それは……」
「触れてみなさい」
 
布越しに掴んだそれを放り投げる。
 
「っと――!?」
 
反射的に受け取ったレオノールだが、一瞬にしてその手を離した。
まるで熱い物に触れてしまったような、そんな反応。
木の床にぶつかりバングルは鈍い音を立てた。
 
「……お分かり?」
「これは……一体?」
「この娘が本来持っている力は凄まじい物がありますわ。その品は、それを極限まで押さえるための品。……姿を偽るのなんて、おまけに過ぎない。着けているときは指先一つ分ほどの力も出せていなかったのでしょうね」
「まさか。だが、彼女は……」
「信じられないでしょうね。わたくしも最初は信じられなかった。こんな小娘にそんな力が眠っていたなんて。けれど、直ぐに理解『させられた』」
 
部屋の中を歩き、バングルを布で包んで拾い上げてから、ルクラの眠るベッドの脇に腰を下ろす。
まだあの時、暴走したルクラと対峙した事を思い出してしまうと、とても立ってなど居られないのだ。
レオノールにも、さっきまで座っていた椅子へ座るよう促した。
 
「この娘が秘めている力は、まだ自身では制御できないほど強大な力。陳腐な言い方をすれば『神にも等しい』と言うのかしら? ……故に品で制御する必要があった。誰が作ったのか知らないけれど、同じように神を封じてしまうような強さの品で」
「その封印が解けたのか? ……何故?」
「本来なら解けることなど無かったのでしょうね。……本来なら。でも、この島の『マナ』がその本来を捻じ曲げた」
 
何か思い当たる節があったのか、レオノールの目が見開かれた。
それを見やりつつ“詳しく説明する必要はなさそうですわね”と、リズレッタは呟く。
 
「この島のマナは急速な成長を約束しますわ。そしてその見返りに……『狂わせる』。全員ではないようだけれど、この島に来てその『マナ』と触れ続けたこの娘は逃れることは出来なかった。狂って増大した力を抑える術も無く、やがて限界を超えて――」
 
一旦言葉を切って、レオノールの反応を待つ。
 
「……そこまでは理解した。いや、理解しよう。だが、どうしてそこから封印に結びつくんだ? それだけに強い力を封じ込める手段は早々無いだろう?」
「いいえ。とても身近に封印を施せる人間は居ましたわ」
「……まさか」
「えぇ。この娘は『自分で自分を封印した』。自分でさえ知らない力に翻弄されて、恐ろしくなったのでしょうね」
 
“そうしてこの有様ですわ”と、リズレッタはルクラを眺めて答える。
 
「我武者羅に、訳も判らずただ『封印』と願ったそれは一応叶えられた様だけれど、お粗末ですわね。不完全もいいところ。この季節が終わるまでには間違いなく死にますわ」
「……助けることはできないのか? 何かある筈だ」
「どうにかできるとお思い?」
「そう易々と諦められる訳が無いだろう!?」
 
冷ややかに返した事が諦観の境地と見られたか、そう怒鳴られた。
無言となったお互いの間に風が吹き込んで、部屋の中の埃を僅かに舞い上げる。
古びた木々の匂いを吸い込んだそれは、互いに感情が昂っている今、静かに命を小さくし続ける少女の最期を予感させるような死臭に思えた。
レオノールが背の翼を僅かにはためかせて、その香りを無理矢理に掻き消す。
 
「……すまない。感情的になりすぎた、な」
 
必死に平静を装うレオノールの顔は、しかしそれでも時たま歪み。
 
「リズレッタ、と言ったな。私はそろそろ……帰るとしよう」
 
悔しさで埋め尽くされた口元を手で覆い隠し、背を向けて部屋の扉を開く。
 
「彼女を、頼む」
 
そう一言、搾り出すように告げて、レオノールは部屋を後にした。
 
「………………」
 
ゆっくりと腰掛けていたベッドから降りて、先ほどまでレオノールが使っていた椅子に腰掛けて、ルクラを見た。
よほど長時間の間レオノールは手を握っていたのか、青白く血色の悪い筈のルクラの手に僅かに赤みが差していた。
少し捲られた布団から覗く彼女の胸元には、光を受けて輝くファイアオパールのブローチが身に付いたままだった。
このブローチも先ほど部屋を後にしたあのレオノールから貰ったのだと以前、ルクラが興奮した様子で話してきたのを思い出す。
改めて、部屋を見渡す。掃除の手が行き届かなくなってしまった今のルクラの部屋は、あちこちに埃が溜まってしまっている。
掃除をする筈のルクラがこうなってしまっており、老婆もそんな彼女の部屋を、掃除したくても出来ないのだろう。
当然とはいえば当然の状況だが、リズレッタとしては落ち着かない。椅子から立ち上がり、叩きを持って掃除を始める。
しかし直ぐに、手を止めた。
 
「……何故、わたくしは……?」
 
浮かんだ一つの疑問に、手を止めざるを得なかったのだ。
 
「もう、いいじゃないの」
 
少なくとも、十分あの小娘に対して見返りは与えた筈だ。
言われたとおり“友人”として接して、彼女の我侭も聞き入れて、受けた恩は返した筈。
もうこの少女は死んでしまうのだ。これ以上自分が此処にいる意味が何処に在る?
 
「十分ですわ……」
 
去ってしまえばいいのだ。
もうこの場に居る意味など無い。恩を返すべき相手はもう居なくなるのだから。
また一人、死んだ妹のためにも再びあらゆる存在を侮蔑する最上位の存在へと戻れば良い。そうなる為の力も、もうじき完全に掌中に戻る。
飯事の様な真似はもう必要ない。
去ればいい。
 
「……何故……なんで」
 
何故だ。
 
「どうし……てっ……」
 
何故、泣いている。
 
【3】
 
「……そんな、馬鹿な事を……!」
「無茶は承知。賭けであることも承知の上ですわ」
「何を言っているのか判っているの、貴女は!?」
「くどい。……あの娘を助けるためにはこの方法しかない。そしてこれは貴女にしか頼めないことですわ、マダム。貴女の力が絶対に必要」
「……っ……!」
「早く返答なさい、わたくしの気が変わる前に。あの娘を助けたいのかどうか……早く答えなさい!」
 
殺戮の道だけを歩んできた氷の女帝が今、本当の意味で救済の道へと足を踏み入れた瞬間だった。

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