六命雑感、あと日記の保管庫もかねています。
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忘れていた矜持
【1】
「では何故、あの子の傍にずっと居るのかしら……?」
老婆の言葉を聞いて、リズレッタの胸の鼓動は早く高く強くなった。
「……なんですって……?」
辛うじて絞り出した声はか細く、いつもの不敵な笑みは無く。
ただうろたえる少女が一人其処に居ただけだった。
「恩を返そうとは、思わないのかい……? あれだけあの子は、あなたに親切にしてくれているのに」
「……それは……」
「勿論あの子だって、お礼を目当てにそうしているわけでは無いわ……。ただ純粋に、助けたい、役に立ちたいと言う思いで誰にだって接してきている。あんなに小さな身体に……確固たる信念が眠っている……。頭が下がる思いね……」
「………………」
「あなたはあの子に……何かしてあげたのかい……? あの子が貴女にしてくれたことを、よく思い出して御覧なさい。……ただあの子の助けを身に受けて、尊大な態度で居続けて。……首をかしげる他ないのだけど、ねぇ……?」
「……ッ……!」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
老婆に対してだ。
それを認識したとき、リズレッタは更に怒りを覚えた。
他人に言われて怒りを覚えるのは、自身も自覚しているからこそ。
そこで老婆に怒りを覚えるなどお門違いもいいところで、本当に怒りを向けるべきは、自分自身だった。
そのはずなのに老婆に怒りを向けてしまった自分に、今まで感じたことの無い苛立ちを覚えたのだ。
「強制は、できないわ……。それに、あの子に言うほど勇気も無い……。あの笑顔が無くなってしまう事は、今の私にとっては息子夫婦や孫をを亡くしてしまう事に等しいぐらいに、悲しいことだからねぇ……」
「………………」
がたり、と音を立てて椅子から立ち上がる。
心配そうに自分を眺める老婆の顔は見ることができなかった。
酷く自分が恥ずかしい存在に思えて、とても他人の顔など見れる状況ではなかったのだ。
「……出かけてきますわ」
「……えぇ、いってらっしゃい……。お夕飯はもう直ぐですから、なるべく早めに――」
勿論言葉など最後まで聞けるはずも無かった。
一刻も早く一人になりたかった。
宿から出て、懐から取り出し乱暴に鳴らした鈴は、リズレッタを霧に包み込んでくれる。
そして霧が晴れた時、リズレッタの姿はもう無かった。
【2】
鈴の音を響かせ辿り付いたのは、妖精の宿。
此処でならどれだけ長い時間居ても、元の場所では数十分程度の時間経過にしかならない。
静かに一人、物事を考えたいリズレッタにとっては、最適な場所といえた。
「……これは……」
しかし誤算が一つあった。
記憶の中にあった白一色の冷たく寂しげな庭は消え、今や賑やかな桃色が乱舞する場所へと変貌していたのだ。
見た目に五月蝿いその光景にリズレッタは眉を潜める。
目の前の大樹を見上げれば、枝一本一本を包み込むように咲き乱れる花々。
見事な狂い咲きである。
しかし、リズレッタにとっては鬱陶しい存在に他ならなかった。
あの大樹の枝に腰掛けようと思っていたのがこれでは、木の枝に登ることすら儘ならない。
まさかあの咲き誇る中に身体を突っ込んで、枝に腰掛けて……など出来るはずも無い。
”はしたない”行いをするはずが無かった。
何処か抜け道でもないかと大樹の真下まで歩いて行き、その幹に手を付いてそっと見上げるが、やはり同じことだった。
とてもすんなりと中に入れてくれる様子は無い。
「鬱陶しい……」
憎らしげにそう呟いても入り口が出来るはずも無い。
仕方なく、大樹の根元に腰を降ろす。
よく見れば地面には散った花が一つも残っていない。
どころか、自分の体に触れた花びらも消えていく。
相変らず奇妙な場所だ、そう思いながら暫く、花が散るさまを眺めていた。
「………………」
今頃ルクラは、機嫌よくダンスパーティを楽しんでいるのだろうか。
あんなのに舞踏会などという優雅な催しが似合うはずが無い、と思いかけ、招待状の歪な姿を見てあぁやはりあの娘にこそお似合いか、と思いなおす。
自分が思うような舞踏会ではないのだろう。
それっぽく仕上げただけの紛い物に違いない。
「……ふん――」
笑みが零れた。
「………………」
何故だか酷く、自分が惨めに思えたのですぐ押し留めた。
「あの娘が、わたくしにしたこと、か――」
膝を抱えて座り込む格好に直して、呟く。
「――全く。何故、あそこまで他人に尽くすことができると言うのかしら。……理解し難いですわ」
理解できない、それはリズレッタにとっては便利な言葉。
自分に合わないものは全て切り捨てて、見下して、自分をずっと優位に立たせる魔法の言葉だった。
「……理解なんて」
それが今や、どうだ。
呟くだけで、まるで自分が時代遅れで、何もかもに置いていかれるような孤独感をもたらす忌々しい言葉となっている。
「……理解……」
判っているのだ。
もう聞かない振りなど出来ないほど、内から聞こえる自分の声は叫んでいる。
受けた恩は報いるべきだ、と。
リズレッタは強大な存在だった。
しかし今は違う。
最早権威は地に墜ちた。
「……理解、できない。……いや――」
判っていたのだ。
自分が意地を張って、ルクラに何一つ恩を返すまいとしていたことなど。
ただ助けを受けるだけのぬるま湯に漬かりきっていたのだ。
そしてそれを、自分は恥と思わなかった。
ルクラを言い訳の材料にして、今までずっと――。
【3】
「――理解しようとしなかった、ですわね」
もう止めだ、そう自分を叱りつける。
「……全く、何という無様な姿。
自身こそ最上位だと誇っていた誉れ高き姿は何処へ消えたのかしら」
呆れた声でそう投げかけた相手は他でもない自分自身。
ゆっくりと立ち上がり、大樹と向き合い、眼を閉じる。
「力を失くしたとて、その誇りは消えず。
わたくしの誇りは力のみにあらず。
あらゆる、全てが、何よりにも勝るからこその最上位。
下賎に施しを受けたのなら、それに見合った褒美を与えるのは上に立つ者の義務に他ならぬ。
ただ施しを受け続けるだけなどという、最低の行為に身を染めるなど、在ってはならない。
……あんな小娘一人の施しなど」
――。
「――直ぐに。
直ぐに目も眩む様な褒美を与えてやりましょう。
わたくしはあらゆる者の頂点に立つべき存在なのだから」
そうでなければ、妹に示しがつかない。
頂点を仲良く二人で分け合った片割れはもういない。
残された自分が、今まで以上に、眩いばかりに輝き続けなければならないのだ。
今まで自分が忘れていた物、それは矜持だった。
だがもう、二度と忘れることは無い、手放すことは無い。
そんな事があれば、最早自分に価値など無い。
「……ふふ」
再び大樹を見上げたリズレッタは、薄く笑みを浮かべていた。
鬱陶しかったはずの咲き乱れる花々が、美しく輝いて見える。
あれは自分を楽しませる舞台衣装なのだ。
もっと、もっと美しく咲け。
「――――」
笑みを浮かべるリズレッタの瞳には、力強い光が宿っていた。
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