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六命雑感、あと日記の保管庫もかねています。
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 神聖な奴隷の儀
 
 
【1】
 
ぱちり、と目を開いて、ルクラは自分の手を目の前に持ってきてぐぅ、ぱぁと動かしてみる。
それから目を擦り、確かな感触があることを確かめた。
窓から差し込む光は無く、空には薄暗い藍色が広がっている。
身に纏わりつく空気を考えると、どうやら夕方らしいとルクラは推測し、そして時計を見てその正しさを悟った。
あの夜中の騒動から17時間ほどの経過。
長い間眠り続けていたというのに、或いは眠り続けていたからか、こんな時間までぐっすりと眠っていたことにルクラは内心驚いていた。
早く起きて階下にいるであろうリズレッタと老婆に、改めて挨拶をしなければとベッドから這い出して、スリッパを履いていたその時だった。
 
「あら」
 
扉を開けて部屋の中を覗き込み、起きたルクラの姿を見てそんな声を上げたのはリズレッタだった。
 
「ようやく起きましたの。あれだけ眠ったのにまだ寝足り無かったのかしら?」
「リズレッタ……」
「おはようございます、お嬢さん」
 
彼女の後に続くようにして入ってきたのは、この宿の主である老婆。
 
「……おばあさん」
「体の調子は、どうかしら……? どこか変なところは、ありませんか?」
「いえ……特には、ないです」
「よかった……」
 
それだけ聞くと老婆は、ルクラを優しく抱きしめた。
花のよい香りがルクラの鼻腔をくすぐり、それはルクラに心の中に芽生えた申し訳なさという感情をいくらか和らげてくれる。
 
「本当に、よかった。もう二度とお話ができないかと思って……」
「ごめんなさい、おばあさん。わたし……」
「いいの、いいのよ。こうして無事に帰ってきてくれた……それだけで十分です……」
「おばあさん……っ」
 
老婆の目じりに涙が浮かんでいるのを見てしまえば、感情を抑えることなどとてもできなかった。
こうして自分が此処にいる、“帰ってきたのだ”と実感したその瞬間、さまざまな思いが溢れ出して、止まらない。
しばらく室内には、二人分のすすり泣く声だけが響いていた。
 
「全く。本当にどうなることかと思いましたわ」
 
頃合を見計らって、リズレッタは口を開いた。
 
「リズレッタ……。……! け、怪我は……大丈夫なの?」
「怪我? ……あぁ、お前が切り飛ばした腕のこと?」
 
五体満足でいる様子に、ルクラは目を丸くしている。
無くなったはずの腕を撫でながら、リズレッタは不敵な笑みを浮かべて答えた。
 
「あの程度でこのわたくしに傷をつけることなど、できるわけが無いでしょう? 服はだめになったけれど」
 
真実は些か違うが、それをルクラに伝えたところでどうなるわけでもない。
悪影響ばかりが残ることを考慮して、リズレッタはそう答えたのだった。
 
「……本当に、ごめんなさいリズレッタ」
 
なにしろ、その答えであってもルクラはすっかり落ち込んでいるのだ。
真実を伝えたら一体何時立ち直るか見当もつかない。
 
「謝罪は当然。それだけのことを貴女はしたのだから。……ミセスに感謝なさい。そして当然このわたくしにも、深い深い感謝の念を抱き続けることですわ。それから……お前を取り巻く全ての人々にも」
 
今は自分だけに後悔や反省の念を向けるべきではないとリズレッタもわかっている。
だからこその、受け答え。
 
「……まだ夕食まで時間がありますわ。少し散歩でもしてきたら如何?」
 
この部屋にいても、そして自分達が近くにいる場所では、気持ちの整理もつかないだろうことを見越して、更に続けて提案する。
頷くと確信していた。
 
「うん……。あの、ちょっと出てきます。お夕飯には間に合うように帰ってきますから……」
「えぇ……いいですけれど、あまり人気の無いところへは行ってはいけませんよ?」
「はい」
 
予想通り彼女は頷いて、手早く着替えを済ませて、部屋を出て行ってしまった。
 
「……大丈夫かしら……」
 
見送ったものの、心配そうな表情を老婆は隠そうともしていない。
その心配の種が何なのかリズレッタは察して、笑みを浮かべて質問した。
 
「『あおいろのばけもの』の事でも気にかけているのかしら、ミセス?」
 
遺跡外を騒がせる存在は、当然リズレッタの耳にも入っている。
常に遺跡外にいる老婆には、今自分が持っている噂の倍は耳に入っているだろう。
どうやら図星だったようで、老婆は少し戸惑いつつも答えた。
 
「え、えぇ……。遺跡の外で、最近多発しているというでしょう? まだ空は明るいし、ちゃんと彼女は言いつけを守ってくれるいい子ですけれど……」
「もしものときは駆けつけますわ。わたくしもその『ばけもの』に興味が無いわけでは無いですし」
「……?」
「あぁ……話してませんでしたわね。今のあの娘の感覚や思考……『視え』ますの」
「視える……?」
「何故だかは判らないけれど。今何処を歩いているのか、何を考えているのか手に取るようにわかりますわ。……あぁ、今こけましたわね。……一つ云えるのは貴女のおかげですわ、ミセス?」
「私の……?」
 
リズレッタはベッドに腰掛けて、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
 
「あの娘を呼び戻すのに行った方法は本来であれば……こんな状況にはならなかった。そうでしょう? 貴女も驚いているのではなくて?」
「………………」
 
老婆は静かに頷き、そして口を開く。
 
「貴女に指示されたのは、こんな結果を残すような良い方法ではありませんでした。……『奴隷の儀』でしたもの」
「あの娘の強固な封印を通り抜けるためには、あの娘の力自体にわたくしが同化する必要があった。選択肢はそれしかありませんでしたわ。……『契約』という橋を使って、『封印』と言う川を越えた。その橋渡し代は――」
「『一生の服従』……。でも、今貴女は自由に振舞っていますね。本来であれば、あのバングルに吸収されてしまう所だったのに」
「えぇ。それに力だって、あの娘に全て捧げた筈なのに……、あの娘が傍にいると、前より調子が良いぐらいですわ」
 
“得ばかり残りましたわね”と笑い、急にリズレッタは真面目な顔を見せる。
 
「……全て貴女のおかげですわ、ミセス」
「え……?」
「貴女の存在。そうとしか考えられないのですわ、現状は。一体どんな手品を使って見せたのかしら?」
「いえ……特に何も、貴女に指示された通りをしただけですよ。ただ……」
「ただ?」
「……貴方達二人がどうか無事に帰ってきますようにと、必死にお祈りをしたんです」
「お祈り……?」
 
老婆の言葉を鸚鵡返しに呟いた後、リズレッタはさもおかしそうに声を上げて笑い出す。
 
「貴女……! 『奴隷の儀』に『お祈り』ですって? ふ……あははは……! 邪悪な儀式にそんな神聖な行為を紛れ込ませてどうしますの!? あぁ可笑しい……!」
 
笑いすぎて涙が浮かんだ目元を拭いつつ、リズレッタはいまだにくすくすと笑いながら老婆に言った。
 
「でも……それで説明は付くかもしれませんわねミセス。貴女のその強い祈りの力……それが今の状態を生み出した。わたくしの力が、あの娘が必要とはいえ前より強い状態で残っている事も、あの娘との感覚や思考の共有ができるのも……きっとそうなんでしょう」
「……私だけの力ではありませんよ。あの場に訪れた……いえ。私と同じ思いだった沢山の人々祈りが……きっと今の結果を生み出してくれたのです」
「ふふ……そういうことに、しておきま――?」
 
戸惑いに言葉を切る。
老婆が自分をしっかりと抱きしめていることに、リズレッタは驚いた。
 
「な……なんですの? いきなり」
「あの子を助けてくれて……ありがとう。そして……貴女も無事で本当に良かった」
「………………」
「貴方達は、私の孫も同然……どちらも失いたくなど無いわ……」
「……わたくしはやりたいことをしただけですわ、ミセス。礼には及びませんの」
 
わざと感情を込めずぶっきらぼうに返したリズレッタだが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
 
散り舞う火花に幸せを見出す
 
 
【1】
潮騒を身に感じながら、砂浜を歩く。
落陽を望み、だんだんと衰え始めた黄金色の光を身に受けながら、ひたすらに歩く。
考えるのは、自分が眠っていた間の事。
正確に言えば、その間自分が見ていた夢の事。
ひたすらに罪悪感に囚われ、払拭するために反省の言葉を呟き続けていた中に飛び込んできたのは、他の誰でもない、リズレッタだった。
その時彼女に何を言われたかははっきりとは覚えていない。
ただ、彼女はとてつもなく怒っており、その原因が自分であること。
彼女が怒りの言葉をぶつけるたびに、自分の脳裏に次々と、いろいろな人の顔が浮かび上がったことは覚えていた。
 
“帰りたい”“皆に会いたい”“謝りたい”
 
そう願った瞬間、夢が醒めた。
 
「……よく、わかんないや」
 
その夢が何だったのか、それはルクラには判らない。
だが、判らなくても良かった。
 
「……うん、決めた!」
 
自分が今何をすべきかは夢を思い出して顧みる事ではなく、自分と親しくしていた人々と出会い、無事を報告することなのだ。
リズレッタが居れば夢のことばかり話してこうは行かなかっただろうということを思い、ルクラはこの場に居ない存在に感謝の念を送った。
 
「……ふぅ」
 
一度決心がつけば、なんだか焦っていた心も落ち着いた。
周りを見渡す余裕もできる。
 
「……?」
 
いつもなら静まり返っている浜辺は、今の時間だと随分人通りが多い。
ここに来たのも無意識に人並みに乗ってきてしまった故であった。
誰もが浮かれたような顔をして歩いている。
何故だろうと更に見渡してみると。
 
「あれ?」
 
見慣れぬ店が一軒、視界に収まった。
あんなところに店などあっただろうか?
潮騒を掻き消す人の喧騒に思わず足が向く。
食べ物の良い匂いがすることを鼻が感知すれば、更にその足は速く。
そうして店の中の様子がだんだんと見え始め、そして――。
 
「あ……」
 

***サマーバケーション 夜の部***

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